現在のJRA小倉競馬は、ここ遠賀郡戸畑村(現:北九州市戸畑区)にて産声をあげた
1908(明41)年7月:東洋競馬会が戸畑村に建造した競馬場で4日間の競馬が開催される
はがきが1銭5厘、新聞は45銭の時代、馬券は5円ないし10円と高額であった
明治政府は当初、競馬場を欧州のように上流階級が集う場所にと想定していた
ところが実際には中流層以下の観客も殺到した
その結果、様々な弊害が現れて社会問題化しはじめた
各地での競馬開催と馬券発売は黙許されていた時代であったが
同年10月:馬政局より突如馬券発行禁止の閣令が発せられた
馬券の発売が禁止されたことにより公認競馬の各施行体は収入源を断たれ
競馬を開催することがきわめて困難な状況に追い込まれた
しかしながら当時の政府は軍馬の品種改良に取り組んでおり
生産の奨励、品種改良の成果確認のために競馬の開催を必要としていた
そのため、政府は馬券発売を伴わず、勝った馬主に補助金を与える競馬の開催を推進する事とした
1910(明43)年:補助金競馬開始の際に補助金下付の条件として競馬倶楽部への改称を要求され
東洋競馬会は小倉競馬倶楽部と改称する
1918(大7)年:戸畑の敷地と施設を売り払い
翌1919(大8)年:小倉市三萩野(現:北九州市小倉北区)に新競馬場を建設し移転する
福岡県遠賀郡戸畑村
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